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58件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2019-03-12 第198回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号

その経済力を土台にして、戦後、日本は、昔、福田ドクトリンと、マニラでの福田赳夫首相のスピーチにあるように、日本経済大国になっても軍事大国にならないという主体的意思を持った日本と違って、中国は、総合国力は両輪があるんだ、経済力軍事力だというので、経済発展の上に大軍拡冷戦後のせたんですね。冷戦後、今日まで五十何倍、彼らの発表する国防費だけで五十何倍というすさまじい大軍拡をやっているんです。  

五百旗頭真

2018-06-12 第196回国会 参議院 外交防衛委員会 第19号

そんな中で、たまたま昨日の毎日新聞でございますけれども、河野洋平衆議院議長福田ドクトリンのことをおっしゃっておられます。たまたま、昨年の十二月でございますが、私、福田康夫総理中国の会議に参加された際に、日中四十五周年あるいは四十年の関係周恩来首相のお嬢さんもいらっしゃいましたけれども、福田康夫総理福田赳夫総理福田ドクトリンについておっしゃいました。  

藤田幸久

2018-02-21 第196回国会 参議院 国際経済・外交に関する調査会 第3号

一九八〇年あるいはそれ以前ですと、ASEANといっても五か国で、ブルネイが参加するまでは五か国で、割と小さな地域共同体、親米、アメリカに近い、それから反ベトナム、反ソ連という色彩の強い地域共同体だったという感じで、必ずしも余り大きなプレゼンス感じられませんでしたけれども、その後三十年以上、四十年近くがたつ中で、福田ドクトリン以後四十一年たつ中で、非常に大きなプレゼンス、つまり、インドとチャイナ

熊岡路矢

2018-02-21 第196回国会 参議院 国際経済・外交に関する調査会 第3号

次に、熊岡参考人にお伺いしたいんですが、資料で福田ドクトリンと二〇一三年の対ASEAN外交原則を提示いただきまして、やはりこの間の違いといいますか、これによって若干、ODAも含めて日本外交姿勢というものがASEAN諸国において違っているのかどうか、そこを感じるところありますでしょうか。

伊波洋一

2014-02-20 第186回国会 参議院 政府開発援助等に関する特別委員会 第2号

それを象徴するのが福田ドクトリンここでは、特に日本が大国化する中で疑念や反感がございました。それを払拭するために平和主義を掲げ、相互信頼を求め、まさに対等な協力というのを大きく掲げて途上国との対話を開始したというふうに考えます。更に重要なことは、そのときに日本援助は二つの柱を立てる、相手国工業化を支援する、産業の発展を支援するということと、貧困の削減を真摯に追求していくことでございました。

高橋基樹

2008-05-21 第169回国会 衆議院 外務委員会 第15号

ASEANとの関係をよくしていく福田ドクトリンに基づいて、当時は大変にASEANとの関係も厳しい状況の中にあった、その中で相互の交流、理解を深めていく、そういう中でつくられたセンターであったと思います。  ところが、短時間でありましたので、それがすべてではないと私は思うんですけれども、一体あそこの場所は何をする場所なのかなと単純に思いました。

近藤昭一

2008-04-02 第169回国会 衆議院 外務委員会 第4号

お父さん福田ドクトリン、日本はいわゆる非軍事大国という道を進むということに言及しておりまして、福田さん自身も、平和に徹し、軍事大国にならない政策を堅持していくというような表現をされ、アジア重視善隣友好という福田外交の真髄を表現されておるのではないか、こういうふうに見ております。  二年前のあの演説福田外交の一番の本質だ、こういうふうに受けとめてよろしいんでしょうか。

鉢呂吉雄

2008-04-02 第169回国会 衆議院 外務委員会 第4号

そういう意味で、先ほど鉢呂委員の指摘の中にもありました福田ドクトリン一九七七年のことであったと思います。軍事大国とならない、心と心の触れ合いをしていく、対等な立場でやっていく。改めて、福田ドクトリンも視野に入れながら、大きく総理としてどのような外交を展開していかれようと考えていらっしゃるのか、お聞かせをいただきたいと思います。

近藤昭一

2008-04-02 第169回国会 衆議院 外務委員会 第4号

ただ、私は、どこまでの軍事力、兵力が適当かという議論もきっちりとしつつ、やはり福田ドクトリンの中にあった、軍事大国とならず世界の平和と繁栄に貢献する、そのためにも、心と心の触れ合い、信頼関係をつくる、対等な立場東南アジア諸国の平和と繁栄に寄与していく、つまり軍事大国にならないという前提の中でそういう環境をつくっていく、そういう努力がドクトリンの信条ではないかなと思うんです。

近藤昭一

2007-11-26 第168回国会 参議院 本会議 第9号

明快に福田外交が目指すものは何か、あなたの父上がアジア外交で提唱した福田ドクトリンに相当するような外交基本指針があるならば、是非お示し願います。  次に、ブッシュ米大統領との会談で見逃すことのできないのは、米国の北朝鮮に対するテロ支援国家指定解除をめぐる動向であります。  日本としては、拉致問題の解決を抜きにして指定解除を認めることは断じて納得できるものではありません。

直嶋正行

2007-11-26 第168回国会 参議院 本会議 第9号

福田ドクトリンが打ち出された三十年前に比べ、アジアをめぐる状況は大きく変化しております。中国は目覚ましく発展しており、インドについても更なる経済発展が期待されるなど、アジアは経済的な成長センターとして力強く発展しております。一方で、アジアには依然、域内格差脆弱性も見られ、環境、国境を越える問題など、新たな課題にも直面しております。

福田康夫

2007-10-23 第168回国会 衆議院 環境委員会 第2号

かつて福田赳夫総理は、アジアとの関係の中において福田ドクトリンというものを打ち出して、友好的な関係を長期にわたって維持していくためには日本外交はこの方針でいくと三原則を打ち出したのでありますが、日本環境行政にあって、鴨下ドクトリンというようなものをこの三原則をもとに打ち出されることを考えてみられてはいかがだろうか、こんな御提案を申し上げたいと思うのでございますが、大臣、いかがでございましょうか。

小野晋也

2007-10-19 第168回国会 衆議院 安全保障委員会 第2号

福田さんは、かねてアジア重視お父さんの時代の話に対して新福田ドクトリン、形はなしていないんですが、漠たる感じとしては、アジアを重視する、こういうふうな意味合いが伝わってくるんですが、これはどの方も、アジアを重視しないなんという人は、安倍さんだってだれだっていないはずで、そういう観点からしますと、まずここで何を聞きたいかというと、高村外務大臣アジア観を聞きたいわけです。  

赤松正雄

2007-10-15 第168回国会 参議院 予算委員会 第1号

福田ドクトリンというやつでございますが、軍事大国にならない、心と心の触れ合う相互信頼関係を構築すると、対等のパートナーシップ、当時はこの対等という言葉はとても重かったんではないかと私は思いますが、この三項目を我が国東南アジア政策の柱に据えて、その後、これが対ASEAN外交基本となっているわけでございます。  

林芳正

2006-02-15 第164回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第2号

まあ、ややというよりはかなり八方美人な、中身のない言葉のように聞こえますけれども、この福田ドクトリンの実体は日米外交アジア外交を両方とも推進するということであってですね、実際、福田政権はこれをかなり達成していくわけであります。これが大きな課題一つ。  もう一つ課題は、核を保有しない国家安全保障においてどのような選択肢を持つかということであります。

藤原帰一

2006-01-23 第164回国会 衆議院 本会議 第2号

総理大臣として、例えば、あなたの師匠であった福田総理福田ドクトリンのようなアジア外交総合戦略を期待するのは無理なんでしょうか。その必要性も含めて、明快な御答弁をお願いいたします。(拍手)  我が国アジア戦略を描く場合、中国の存在を無視することはできません。中国の台頭は、一時的なブームなどではなく、世紀の単位でとらえるべき歴史的現象です。しかも、その動向世界規模で衝撃を与えるものです。

長島昭久

2005-04-14 第162回国会 参議院 外交防衛委員会 第7号

ちょっとどっちが早いか私も時期的には分かりませんが、やはり福田ドクトリンと称されるものというのは、その後ずっと、今でもしばしばASEANの方々と話すと、あの福田ドクトリンということでしばしば引用されるというのは、やはり私はそこにASEANの、アジア皆さん方の心を打つものがやっぱりあるからなんだろうと、こう思っております。  

町村信孝

2005-04-06 第162回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第7号

日本アジアとの間で本格的な仕組みをつくるというふうに言ったのは恐らく、人によって評価違うと思いますが、私は多分、福田ドクトリンと言われた一九七〇年代後半のこの設定だろうと思います。日本アジアとやるんだというのをドクトリンとして取りまとめられました。その後、大平総理が、じゃ、もう少し主導権を発揮しようかというふうに動かれたところ、隣国、それぞれアジア諸国は腰が引けた。

田中直毅

2005-02-22 第162回国会 参議院 決算委員会 第3号

私は、今、肩書二ついただきましたが、長いこと新聞記者として経済協力を取材いたしまして、日本経済協力五十年、去年、半世紀ということだったんでございますが、正直に言って、日本経済協力が今日のような形として、ある程度外交のツールとして、又は国際協力の貢献する材料として形を整えてきたのはやはり七〇年代後半の福田ドクトリンと言われるようなODA中期目標ができた辺りからのことかなと考えますと、二十五年かそのぐらいの

杉下恒夫

2005-02-04 第162回国会 衆議院 予算委員会 第6号

やはり人の心と心のつき合いをより深めようじゃないかというのが福田ドクトリンと言われておりまして、東南アジア諸国に行くと、福田先生福田ドクトリン、ハート・ツー・ハートという言葉が今でもよく出てまいります。やはりそういうコンセプト、そういう考え方でやっていくということも必要なんだろうと思います。  いずれにしましても、日本の利害ばかり主張してはならない。

町村信孝